お盆の季節、亡き親族、知人を偲ぶ季節に思うこと

冒頭の言葉は、7年前の9・11アメリカ同時多発テロの後、世界中に勝手なメールの形で広まった詩の題名です。

この詩は、池で溺れた子供を助けようとして、自身が溺れて亡くなってしまった10歳の男の子の母親の慟哭を綴ったものですが、9・11で「声をかける間もなく」突然に近親者や友人を失ってしまった人の心情そのものだったので、反響を呼び、版権無視で世界中に広まったそうです。

折しもお盆の季節、亡くなられたご親族や友人、知人を偲ぶ季節ですね。もし、会えるのが、声を聞けるのが、これで最後とわかっていたなら、何と声をかけただろう、どのように接しただろう・・・。この詩はそんなことを考えるきっかけになりました。

私の亡父の場合は、待機室から病室に入れてもらい、心電図がすーっと蝋燭の最後のように消える間、わずかの時間ですが看取ることが出来ましたので幸せだったと思います。その二、三分間、父の手を握って、思いつく限り、ありったけのお礼を心の中で言いました。

 「自転車の乗り方を教えてくれてありがとう」
 「孫の自慢を町中に言ってくれてありがとう」
 「中学生になったその日から大人扱いしてくれてありがとう」
 「結婚式で泣いてくれてありがとう」
 「野菜を送ってくれてありがとう」

・・・20くらいで幕切れとなりましたが、握った手の感触で伝わったような気がしました。

私もそうですが、多くの方が、明日も同じようにあると思っていて、突然ということは考えてないと思います。何かと不安な事件も多発している現在、そうとも言い切れなくなってきましたが、もう会えないかもしれないと思うと、やはり最後の言葉は、「ありがとう」というお礼になるのかな、と思います。自分の娘に「急に優しくなってどうしたの?」といぶかしがられかねませんが、あちこち感謝にあふれた社会になれば、暮らしやすくなると思います。一期一会という言葉にも通じますが、すべての出会い、ご縁が意味のあることだと思いますと、私たちもお会いした一瞬一瞬を大事にする気持ちを強く持ちたい、小さなことにも感謝できるようになりたいと思います。

この夏、ご旅行や、またお仕事の方もいらっしゃると思いますが、ご健康に過ごされますようお祈りし、暑中お見舞い申し上げます。

竹内 健二