こんにちは。

すまいる情報東京の代表、竹内健二です。

 

たいへんな猛暑です。

それでも、地面が土で木々が茂っているところは涼しいので、この暑さは確実に都市化と関連しているようです。

街路樹も落葉の清掃や費用の問題から、短く刈ってしまい日陰ができないのは残念なことです。

自宅の門前を掃く、打ち水するという古の良い風習が日本橋あたりの商店街では残っており、一服の清涼を頂いてます。

 

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やぁ やぁ やぁ先日、実家に帰りまして、もうすぐ95歳になる母の第一声は「まあまあまあ」でした。

その時、とても温かいものを感じました。

まあ(暑いのに)、まあ(よく来てくれたね)、まあ(扇風機の前に座りなさいよ)、無理やり訳すと、このような意味になるのだと思いますが、まあ、という短い言葉だからこそ感情が込めやすく、伝わりやすいのではないかと思いました。

 

ご年輩の方とお話すると、擬声語というそうですが、似たような言葉をよく聞きます。

あらあらあら(お久しぶり、お元気そうね、あなた若いわね)、いやいやいや(そうでもないわ、あなたこそ若いわよ、ところでお茶でもどう)などという会話は、外国語に訳すのは不可能ではないかと思います。

おそらく全国各地に、このような言葉があるはずです。

東北では、まんずまんずまんず、どもどもども、などと言うと聞きます。

 

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なぜ、このような擬声語に温かみを感じたかと申しますと、まず語感がふわりとして柔らかいことがあります。

温かいというのは、距離が近くて体温を感じられることでもありますので、儀礼的なものがなくなり、近しい関係に思えるからかも知れません。

 

フランスの風土学者オギュスタン・ベルクさんは著書で、このように記しています。

『我々が擬態(声)語(オノマトペ)と呼んでいるこの種の言葉 が日本語には無限にあって、部厚い専門辞典がいくつもつくられているほどである。つまりまず擬態語の量という第一の指標があり、例えばフランス語などと比べて日本語ははるかに豊富である。第二の指標は、擬態語の用いられ方だ。フランス語で概念化が行なわれる時、日本語では擬態語が用いられる。』

 

一説には、このような言葉が、フランスでは6百語くらいなのに対して、日本語では5千語もあるそうです。

日本人が感性やイメージで伝えるにはもってこいという訳です。

 

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確かに、お腹がいたくてお医者さんに行くと、どんなふうに痛いですか。しくしくですか、ちくちくですか、きりきりですか、などと聞かれます。

日本人では全部の会話が、このような擬声語で交わされても何となく通じるとしたら、またこれはすごいことでもあります。

 

世の中が、コンプライアンス、説明責任、明確に論理的に、という方向なのは、物事の仕組みが複雑になり、国際的なお付き合いも増えてくる中で仕方がないことでもありますが、何となくぎすぎすした感じもします。きらきらと、ぎらぎらの違いを大事にする感覚を持ち続けたいと思います。

 

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そういえば、庶民的な温かさのある俳句を詠む秋元不死男さんの句が、自分の幼少期の記憶とだぶつて、心にノスタルジーを感じますが、代表作に、擬音語を用いたものがありましたね。

『鳥わたるこきこきこきと罐切れば』

『へろへろとワンタンすするクリスマス』

こんな句を聞くと、まあまあまあ一杯やろうよ、と言いたくなります。

 

 

竹内 健二