すまいる情報代表の竹内健二です。

ついこの間まで半袖で良い陽気でしたが、一気に冬を迎える気配が濃くなってきました。

風邪がはやっているようです。睡眠不足にはどうぞお気を付け下さい。

 

先日、ベトナム出身で現在電気通信大学教授のハン博士を囲んで、弁護士やIT関連の方たちと、小伝馬町の当社地下の会議室で、ミーティングという名の飲み会をしました。

私は、今の子供たちが大人になったときに、東南アジアの方たちと交流したり、自分で海外に出てビジネスをしたいというときのために、少しでもレールやプラットフォームになれれば、と思って参加しています。

 

 

ところでベトナムの国花は「蓮」ですが、お釈迦様が蓮の花の台座に座っていらっしゃるように仏教徒が多いベトナムらしいですね。

ハスは泥水の中で育ち、泥が濃ければ濃いほど大きな花を咲かせるそうです。美しい花びらはまわりの泥水に汚されることなく咲きます。

 

泥水をこの世の中と置き換えると何か暗示を感じます。

ハン教授はベトナム戦争後、15歳でボートピープルとして難破や海賊をくぐりぬけて何とか日本に辿りつき、日本の大学院を出て、ベトナムの健全な発展のために電気工学を研究していらっしゃいますが、まさに泥のような境遇から花咲かせた蓮のようです。

 

この蓮は、日本でも千葉市の花になっています。

これは、千葉市検見川で大賀博士によって発見された(最初の1粒は女子中学生が発見したそうです)二千年前の蓮の種が、発芽育成されて見事に二千年の眠りから覚めてピンク色の大輪の花を咲かせたことによります。

今では日本各地のみならず世界に株分けされて観ることができます。

 

時(とき)を包む

小山田神社の蓮(6月撮影)

私は、町田市の小山田神社の蓮田が、公園のように整備されていなくて、日本昔話のような風景にマッチしていて好きで観に行きます。

二千年前の蓮が今咲き、おそらく未来も咲き続けるだろうことを思いますと、「今」というものが、過去も未来も含んだものであるとを実感します。

 

 

「統合」という言葉がありますが、難しい言葉なので「包む」と置き換えても良いと思います。

昔も未来も「包みこんだ今」と考えますと、今がとても貴重なものに思え、自然と感謝の念が浮かんできます。

こんなことを思い浮かべましたのは、先日亡くなった母の戸籍調べを手続きのために行っていましたら、一番古い記述で「慶応三年生まれ」の先祖が記載されていました。

 

翌年は明治元年ですから、さぞや世の中が引っくり返るような騒然とした世の中だったと思います。

それを見たときに、「包む」感覚が湧きました。有限である母の体は無くなってしまいましたが、包む感覚になると、不思議と悲しみは去り、声も温もりも感じられたのです。

 

日本文化は、「包む」「結ぶ」文化が特徴的だと言われます。茶の湯にしても、中身のお茶だけで良いのなら紙コップでもお茶は変わりませんし、合理的に考えればそうですが、器だけでなく部屋や設え、主人と客人という人間まで一体化、統合して、包んでいるところが素晴らしいのではないかと浅学ながら思います。

 

 

お客様とも、回りの人とも、過去・現在・未来という時と、関係を、包み結べる仕事や人生を送れたら、どんなに良いだろうと心に留めて、この一年の感謝を申し上げさせていただきます。

 

また来年も、お元気であれ、そうでなかれ、お話し、お会いできることを願っております。

ありがとうございました!

 

 

竹内 健二