竹内の母、越生梅林にて

竹内の母、越生梅林にて

確か8年前のお客様通信に、「あなたに褒められたくて」という題で、私の85歳の母のことを書きました。題名は、私が好きな高倉健さんのエッセイから頂きました。高倉健さんのおっしゃる「あなた」はお母さんで、お母さんに褒められることを喜びとしていた健さんの心情が瑞々しく書かれていました。

私も、小さい頃、母に褒めてもらえるのが嬉しくて、母が勤めから帰ってくる前に、学校から一目散に戻ってきて、台所の洗い物をしたり、掃除をしたりしていた事を健さんの書名で想い起こし、その題名をつけました。(でも母以外のことは、全然模範生徒などではなく、やんちゃ坊主でした)

母は大正生まれで尋常小学校の頃から子守をして働いていたこともあり、漢字があまり読めませんでした。私は、母に新聞を読んであげたくて、漢字の勉強だけは一生懸命やりました。そして読んであげると「健ちゃん(私も健ですね)は偉いねえ」と褒めてもらえるのが、とっても嬉しかったのです。おかげで、国語だけは小学校6年間、ずっと5でした。

 

ところで、私は物心ついてから今のこの歳まで、母から一度も怒られた記憶がありません。多分、記憶にない乳幼児の頃も一度も怒られたことはないと思います。私が母から受け継いだ気質で、一番の宝は、この怒りがほとんどないことではないかと思っています。

なぜなら「何でも有り」で、不動産以外のことまで、よろずご相談を受けている現在の仕事にとって、何か不合理なことがあっても、怒っていては全てを受け止められないからです。

不動産の仕事をしていますと、ご家族内で色々な揉め事に直面します。そんな時でも、例え敵対的な立場の方でも、その態度に怒らず、きっとどこかに褒めてもらいたい所があるはずだ、という心持ちでいますと、時間はかかっても打ち解けていただけた経験を何度もして来ました。これが本当に有難い唯一無二の母からの遺産になると思っています。

 

今回の「会いたい人になる」というテーマで、もう少し母のことを話させていただきます。母は、85歳まで、住まいからほど近い自分が生まれた町の、小さな団子屋さんで働いていました。15年くらい働いていたでしょうか。ある時、ついでがあって仕事終わりの母を迎えに行った際、店主の方からこんな話を聞きました。「お母さんが来てくれてから、60代のおじさんのお客さんが結構増えたんだよ。」という内容でした。

どうしてか聞きましたら、そのおじさん達のほとんどは、幼いころに自分の母親を亡くしていたそうです。小さな地方の町ですから、団子屋の店主も町内のことをよく知っていたようです。私の母を見て一言話して、もし生きていたらこんな母だったろう、と母に会いに団子1本を買いに来ていたと。母が、おじさん達の「会いたい人」になっていました。母はまったくそんな気はなかったでしょうが・・・。

私は時代劇の母恋物を見ると泣いてしまうたちなので、母が数分でもおじさん達の母になれて良かったなと思いました。

 

この出来ごとも、今の私にとって糧になっています。想いやりを持つとか、人の気持ちをくむとか、相手の立場で考える、など、研修や本などで、商売繁盛の秘訣として、また人間関係を良くする態度として、よく語られますが、それらもひっくるめて、もっと多くの要素を一言で表すと「会いたい人になる」だと私は思います。

嬉しい時、誰に会って喜びを伝えたいか、苦しい時、誰に会って受け止めてもらいたいか、普段は忘れていても、何かの折に「ああ、会いたいな」と想い起こしていただける存在に、自分も社員も成りたい。それを当社の背骨としたいと願っています。

8年前に85歳の母は、今年、93歳になり、今も亡父が建てた古家におかげ様で一人で暮らしています。

竹内 健二