こんにちは、竹内です。

「週刊すまいる情報」は、昭和59年の開業創刊以来1200号を迎えることができました。

形や内容は色々と変えてきましたが、通巻だけは引き継いできました。

これもお客様の応援とご愛顧があってのことと、深く御礼申し上げます。

この先100号あたり8年かかりますので、100号先を道しるべにして、すぐには効果があらわれないような事も大事にして進んで参ります。

 

 

この文を書いている時点で、ラグビー・ワールドカップの決勝カードが決まりました。

日本人ファンや受け入れ地域のサポートなどが「これが、かの有名な日本のおもてなしか」と、来訪された外国の方に好評と伝えられています。

 

前号で、もてなす日本の方も、一緒に喜んでいるのではないか、と書きましたが、おもてなしは、心をこめてお客様を接待することですから、あくまでホストとゲストという立場の違いは残ったままです。

 

来訪している間の「期間限定」のお客様に対して、一瞬のために長い時間をかけて準備をして努力を怠らないのは、花火やお祭り、花見などにも見られるように、美学と言ってもよいと思います。

 

しかし日常は一瞬では終わらず、明日からも連綿と続いて行きます。

一時の賞賛と満足で終わることなく、花火や桜のように派手さはないけれど、じんわりと、ずっと良い関係が続くには、どうしたら良いだろうかと、ラグビーを観ながら思っていました。

 

 

先日、八丈島の方々とご縁が出来、お酒を飲みながら、八丈島の歴史のことや、特徴についてお話を伺いました。

八丈島は、黒潮の海流の真っただ中にある島なので、色々なものが漂着してくるそうです。

その中には、漂流した人間も含まれます。また、「島送り」という流罪の引き受け地でもあり、余所から来た、いわば異邦人をもてなすだけでなく、島の一員として共に暮らし同化して文化が発展したそうです。

ですから、八丈島の文化芸能は、日本各地の混合したものになっているとのことです。

 

八丈島は、別名「情け島」と呼ばれますが、漂流や流罪で、いつ国に帰れるかわからない境遇では、短い間もてなしても心が晴れるはずはなく、もてなしではなく「情け」をかけることに、とても感じ入りました。

 

 

「情け」は、英語では同情、哀れみ、慈悲などの言葉にあたります。

心の動きの矢印はAさんからBさんへ、という一方通行です。同情する、哀れに思う、のようにです。

 

ところが日本のみで用いられる使い方では「もののあわれを知る心」「思いやりを理解する心」という意味を持つそうです。

哀れだと思うのではなく、これは哀れなことだね、と一つのものを一緒に見て感情を共有しています。

思いやるのではなく、思いやりってこういうことだね、と同じものを一緒に考えている感覚です。

 

 

今後、たくさん海外から人が来るでしょうし、国内でも移住したり、老人ホームや自治会など、小さなコミュニティに入ることもあるでしょう。

 

八丈島のように、特に島の人が呼び込んだわけでもないのに、流人や漂流者が「来てしまった」地での文化が一つの知恵になるのではないかと思います。

情けの気持ちで一体になれたとき、新しい交わりが生まれることを期待したいと思います。

 

 

竹内 健二