すまいる情報代表の竹内健二です。

朝晩だいぶ涼しくなって来ました。

皆様には無事、猛暑を乗り超えられたことを願っております。

無事乗り越えるという言葉が大袈裟でないほどの猛暑でした。

私の母は先月95歳になり、一人暮らしをしていますが、家の中でじっとしていることが多い生活ですから、室内で熱中症のような症状になり救急車で入院ということになってしまいました。

似たような境遇の方がいらっしゃると思います。

どうぞご自愛専心にてお過ごし頂けますよう願って止みません

 

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ところで、夕方の六時頃には、もう暗くなってしまう季節、ちょっと寂しげな気配ですが、温もりを求めて酒席や人との交わりもしたくなる季節でもあります。

先日ベトナムの方に、美味しいベトナム料理とお酒を楽しむ会にお誘いいただきました。

45度のベトナムのお酒をストレートでガンガン飲んで(とにかく乾杯が多い)、チェイサ―がビールという面々にお付き合いし、敢え無く撃沈しました。

 

ベトナムの学生や労働者に現地で疑似経営体験ゲームを教えている知人の話を聞きますと、とにかく「明るく、素直で、学び好き」の人が多いとのこと。

船井幸雄さんだったか、松下幸之助さんだったか、記憶が曖昧ですが、成功する人の特徴を問われて答えた秘訣そのままだそうです。

私のささやかなビジネス体験で申し上げますと、「明るく、素直で、学び好き」の解題は、本人の能力が伸びるからと言うより、窮地に陥ったり、悩んだ時に、神様仏様始め、まわりの人が、これは先輩やお客様も含めてですが、放っておけないと、助けの手が伸びて来るという解釈ではないかと思います。

そうであれば、本人の能力がないからとか、景気が悪いからという言い訳は通用しなくなるからです。

 

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私は今ココにベトナムの心ある人の、今を精いっぱい生きる姿を思い浮かべていましたら、プロゴルファーで昨シーズンで引退された宮里藍さんの「アイ・アム・ヒア」という著書を思い出し再読しました。

「私は今ココにいる」という意味でしょうか。

2005年にアメリカに渡って活躍し一時は世界ランキング一桁にもなったのですが、翌年、大きく右に曲がった、たった一打を境に泥沼のようなスランプに陥り、連続5回予選落ちというような事態になってしまいました。

 

そこから2年あまり、もがき苦しんだ末、「今ココ」に自分を置く大切さに気づいて、復活の端緒を掴むまでの物語です。私はゴルフをしませんが、宮里さんを尊敬し、この本が素晴らしいのは、端緒を掴んだだけで、まだ復活していない2008年の段階で、堂々と著している点です。

普通なら、成功してから言います。掴んだと言って、その後復活できなければピエロになってしまうからです。

まだ復活してもいないのにも関わらず、自分の失敗と、どのように考え方が変化し気づきを得たか発表したのは、同じように悩み苦しんでいる人に、一刻も早くシェアしたかったのだと思います。

 

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まさに、道元禅師の『正法眼蔵』第一巻「弁道話」に出てくる「はなてばてにみてり、一多のきわならんや、かたればくちにみつ、縦横きわまりなし(手放せば、手に満ちるのである、多い少ないと論じるまでもなく、語れば口に満ち溢れ、語りつくせるものではない。)。」の境地だと思います。

競技スポーツであれ、科学であれ、宗教であれ、仕事であれ、また市井の人生であれ、この境地に至った解放感とは、素晴らしいものなのでしょう。

 

そして本を書いた翌年の2009年からツアー優勝が続き、2010年には世界ランキング1位になります。

この本の文末には感動します。

このように本は結ばれています。

「もう少しの間、結果よりもプロセスを大切にしていいですか?いずれ必ずアメリカで優勝します。」

 

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今ココに自分がいるとは、心と体の軸がスクっと真っ直ぐに今現在に立っていることでありましょう。

将来や結果に対する不安が勝ると、軸は前のめりになり、反対に、過去への執着や後悔が勝ると後ろのめりになります。

 

真っ直ぐということは、今の一点に立っているので、変化に対して全方向どこへも進めるということでしょうが、前や後ろに重心がかかっていると、そちら方向しか行けないという意味でもあると思います。

「放てば手に満てり」という言葉を英語に意訳すると、宮里藍さんが掴んだ「私は今ココにいる」という心境の著名「I am here.」になるのかもしれません。

 

竹内 健二