こんにちは。代表の竹内です。

お彼岸は過ぎましたが、コロナでお墓参りを手控えた方もいらっしゃると思います。

お彼岸の最中、NHK・BSで「まいにち養老先生、ときどき」を視ました。

春夏秋冬の年4回放映していて楽しみにしています。

 

北鎌倉のご自宅付近の風情がとても素敵です。

養老先生が4歳のときお父さんが亡くなったのですが、臨終の際、周りの大人に促されたけれど、ついに「さよなら」と言えなかったことを語っておられました。

その後40年経って、自分が人に挨拶するのが苦手な原因がそこにあったことがわかり、そのとき初めて自分の中で父が死んだと述懐していました。

 

私の母も心の中でまだ生きています。

桜も海も月も、母を一緒に連れて見ています。

肉体的な死よりも、人の一生とはかくも長きものだと、長さは自分で決めていいのだと思えてきます。

 

 

山上、山あり、山幾層ところで北鎌倉の駅前の円覚寺に、森信三先生の「山又山」という書があります。

山上また山、頂上に登ってみたら、また眼前に新たな山がある意だと思いますが、人生うまく行ったときでも、そうでないときでも、この言葉をつぶやくと前向きな明るい気持ちになれます。

97歳まで絵を描き続けた中川一政画伯が「私の履歴書」の締めくくりに「一つ山を登れば、彼方にまた大きな山が控えている。それをまた登ろうとする。力つきるまで。」と書かれています。

 

画伯の数え90歳を超えてからの命ほとばしる絵が大好きなのですが、100号サイズの「駒ヶ岳」など地鳴りが聞こえてきそうな迫力です。

先日も、真鶴の中川一政美術館に観に行きエネルギーを注入してきました。

東海道線を東京駅10番ホームから乗りましたが、昭和5年に襲撃され翌年亡くなったライオン宰相、浜口雄幸が狙撃されたのがこの10番ホームで、その座右の銘が「山上、山あり、山幾層」だったのも縁のなせることかも知れません。

 

107歳まで木彫を彫り続けた彫刻家の平櫛田中(でんちゅう)さんも、雷門の背面の仏像など90歳を超えてからの作品は迫力あります。

六十、七十は、はなたれこぞう、とたびたび揮毫されていましたが、100歳のときには今後30年かかっても使いきれないほどの材木があったそうです。

断捨離もいいでのすが、一生かかっても達成できない何かだけは捨てない、それが山上また山の心得かも知れませんね!