プライベート不動産会社という形態を、当社の特徴としていますが、聞きなれない言葉だと思います。

 

スイスには、秘密保守のプライベート銀行があるそうですが、私たちも揺るぎない信頼を土台として、お客様に降りかかる、様々なプライベートな事柄に対してご相談に乗りながら、幸せな生涯を全うするお手伝いをしたい、共に喜び合いたいとの思いで、このように方向を変えてきました。

不動産的な解決が必要な場合はプロとしてお手伝いし、不動産が必要ないときは、相応しい専門家をご紹介しています。

 

プライベートな相談事は、多くは、相続や財産分け、認知症はじめ病気、終の棲家、親子関係などが関わってきます。私が担当した実例をご紹介することで、次のような、誰にも起こりうる課題が含まれていますので、お役に立つかも知れないと思います。

「相続のとき起こりがちな問題と難しさ」

「認知症や介護の悩み」

「終の棲家の考え方、選び方」

具体的な名前や地名などは、プライバシーのこともあり、ぼかしましたが、お話の筋は実例ですので、ご参考になれば幸いです。

 

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「死のうと思って1ヶ月のあいだ、死に場所を探して全国を放浪したけれど、死に切れずに戻ってきました。竹内さん、相談したいことがあるので家に来ていただけませんか。」という電話が私の携帯にありました。

ちなみに、私は以前のお客様からいつ電話があっても良いように、25年間携帯電話の番号を変えていませんので、登録してあった番号にかけて来られたとのことでした。

 

急いでお客様宅に伺ってお話を聞きました。それは、まさに介護と相続を取り巻く問題が凝縮されたような内容でした。その内容とは、

・ 母が亡くなって自筆の遺言書を開けたら、全財産を私にあげると書いてあった。

・ 他の兄弟が、それはおかしいと紛糾し、貯金も減っていると言い出して裁判をかけてきた。

・ 在宅介護は自分が同居してやったので、母親を洗脳し騙して書かせたのだろうと言われた。

・ 兄弟から、いままでの恨みつらみを浴びせられ、罵倒されて精神的に参ってしまった。

という深刻なものでした。

ご長女であるこのお客様とは、10年前に、お母様のお家を売却して、同居するマンションをお世話したご縁でした。

当時、お母様は80代後半で、寝たきりの状態、認知症も始まっていました。医師からは、あと1年以内と覚悟して下さいと言われていました。

 

マンションに住み替える前のことです。

自宅の売却をするための相談に冬に伺った古い一戸建てでは、居間にお祖母様のベッドを置き、寒いのでストーブをがんがん焚いて、カーテンを締め切った薄暗い中、一日中そこで寝ていらっしゃるとのことでした。

 

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「ここでは死にたくない」というお母様の希望で、ご家族が不安がる中、最終的にはお子さんたち皆の同意を得て、新築マンション選びもお手伝いし、住み替え計画を実行しました。

引越されて半年後、落ち着いたころ新居へに伺いました。私は「引っ越しで余計具合が悪くなっていなければ良いが・・・」と若干の不安な気持ちで、新居の中に入りました。

そこにはお母様がきちんと洋服を着てソファに座っていました。

そして何枚かの絵を見せて下さいました。

 

「引っ越して来てから描いた」とおっしゃいます。

お若いころ、教師をしていたお母様は絵心があり、新居の7階の窓から見える風景、とりわけ電車が往来する様子と、公園の樹木の景色がとても気に入り、景色に触発されて水彩画を描き出したそうです。

 

暗い室内で臥せっていた姿しか記憶にないので、移動は車椅子ですが、私はその元気になった姿に感動を覚えました。

住まいが気を養ったのだと思いました。

お医者さんも不思議がったそうですが、その後、1年以内と思っていた余命が、5年ほど生きられ、自分が描いた絵をずいぶんと残されたのでした。

 

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そんな想い出もあったものですから、今回のご相談に、何とか解決のお役に立てないか思案し、顧問弁護士と相談したりしましたが、ご兄弟とは話が平行線で、感情の世界に入っていますので妙案は浮かびませんでした。

 

それではと、私がご兄弟全員と会ってみて、話をすべて聞いて受け止めてみようと思いました。

ご長女の側の手先だと思われたら、話は対決姿勢になってしまいます。

その意図はなく、調停よりも、より具体的な実務の案が出せるかも知れない、中立であることを充分ご説明し、お母様の住み替えの時も顔を合わせていますので、お会いできることになりました。

 

お会いしてみると、おっしゃることが子供時代まで遡り、いかにご長女が親に優遇され、自分たちが割を喰ったか、というところまで行きつきました。

 

ご長女の方は、つきっきりの介護のため、ご主人と折り合いが悪くなりご離婚までされ、勤めていた正社員の職場も退職していました。

そこまでして介護したのにご兄弟から罵倒されたため心が病んでしまったのですが、ご兄弟たちも、そこは姉に任せていたこともあり、子供時代まで、話を遡らざるを得なかったのでしょう。

 

いろいろと聞き役に回りながら、遺留分もありますし遺言書通りにはならないですが、何とか解決できそうな気がしてきました。

 

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納得の行く財産分けと和解、この二つが私の希望でしたが、残念ながら和解のほうは完全には出来ませんでした。

ドラマのように、手を取り合って涙を流してお互いに和解する、などとは現実は中々なりません。

ただ、第三者の私が、ここまでやってくれたのだから、という点と、これ以上亡くなったお母様を悲しませたくないという、諦めの境地も含めて、まとまったのでした。

 

解決のほうは、まず財産のほとんどを占めるマンションを売却して、遺留分相当を分配することと、長女はお母様のご仏壇を持って、お母様が気に入って予想以上に長生きできた、この地によく似た所へ転居する、というものになりました。

和解はしていないので、ご長女を「所払」するような感じもしましたが、お母様が喜ぶ引越し先、という点では合意できたので、ご長女には呑み込んでいただきました。

 

仏様になったお母様が喜ぶ転居先の物件を探す、という新たな課題を、私が引き受けた末の結論でした。

 

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お引き受けしたものの、引越し先はどこでも良いとなると、雲をつかむようなお話です。

長女の方も70才に近づいていましたので、終の棲家にするなら、お子さんの近くへ行きたいとのことで、いままでの家から50km以上離れた地で家を探しました。

なかなか「これは」という家が見つかりません。

そんな期間が2月続いたあと、ふっと気付いたことがあり、亡くなったお母様の魂が戻って来て喜んでいる、というイメージを強くし、お母様が長生きされたマンションからの風景を頭に焼き付けました。

 

それからはアッと言う間に見つかったのです。

イメージが似た風景のところから見えるマンションで売り物がないか探し、ちょうど売り物件があったのです。私が紹介したマンションの7階を見学に行き、その部屋に入ったとたん、長女の方はバルコニーまでまっすぐ歩き、サッシを開けました。

 

春でした。

さーっと気持ちの良い一陣の風が私たちの顔を撫ぜました。

 

「ここにします」と一瞬で決まりました。

室内から眺めたしだれ桜

「お母さん、良かったね。あんなに気に入っていた風景にそっくり。緑の丘があって、走る電車が見えて、桜がいっぱい植わっていて・・・。それも前と同じ7階よ。」と、その場で語りかけていました。

その瞬間、みんなが、ひとりじゃなく、つながったような気がしました。

住まいと環境は底知れない力を持っている、そのように思うと私たちの仕事に誇りと、また軽々しくできないという謙虚な気持ちが湧いた体験でした。