こんにちは。代表の竹内です。

コロナ禍の中、さかんに唱えられている「ステイ・ホーム」、お家にいようという言葉ですが、ホームはお家という意味だけでなく、ホームタウンという場合の故郷、ホームグラウンド、ホームページ(トップ画面の意)などの原点の場所などの意味があります。

単にお家に居ようという意味だけでなく、本来あるべき自分の姿を内省して、自分と語り合える時間に出来たとしたら、コロナによるこんな賜りものはないと思います。

 

 

災害や苦難のときは、このような「本来」の姿が見えやすくなります。

生活に置き換えると、本来いらなかったモノや、やっている事、交友関係などの断捨離が進むようです。

実際、私たちのところには、家の片づけや、資産整理、遺言状などのご相談が、コロナ前より大変増えております。

 

ニュースなども、「本来の姿」がとらえられている、とても良い記事に時々出会います。

きっと記者さんの心の中にも同じ思いがあるのでしょう。

 

自分の心もホームへ帰ろうそのような記事が6月13日に朝日新聞デジタルで配信されて来ました。

タイトルは「校長が思わず『あぶね』白塗り顔で教材に、教員も爆笑」というニュースで、テレビにも出たらしいのでご覧になった方もいらっしゃると思います。

 

日光の鬼怒川小学校の校長先生が、登校できない児童たちのために歴史の授業をインターネットのユーチューブに乗せて配信しているという内容です。

 

なぜ爆笑なのかと言いますと、校長先生が顔を白塗りしたり、被り物をしたり、歴史上の人物に成り代わってお話する姿が抱腹モノだからです。

坂本竜馬の姿の時はブーツでよろけて、思わず『あぶね』という言葉が出てくるボケさがまたいい味を出しています。

 

校長先生は「毎日みんなの笑顔と笑い声を感じていたい」という思いから始めたそうです。

観ていると最初は爆笑して、そのうち何か泣けてきます。

校長という威厳と私心を捨てて、みんなの笑顔という公のために、必死に行動する姿が泣けてくるのでしょう。

 

 

コロナを、時代の大転換期のキッカケになる出来事という意味で「黒船」に例える向きもあります。

黒船に乗り込み密航して、アメリカの情勢を自分の目で見て学ぼうとして、捕らえられた吉田松陰も日本のためという公の心の塊だったと思います。

 

ペリーの黒船に乗り込むために乗った小舟に、櫂を留める金具がない、と同行した金子重之輔に言われた松陰は、「重之輔君問題ない、これで縛りなさい」と自分のフンドシを脱いで渡したそうです。

 

コントのような場面で笑いが出てくるところですが、やっぱりその後で泣けてきます。

そんな必死さが通じたのでしょう、乗船は断られて捕らえられ、伝馬町の牢へ送られましたが、ペリーから処刑しないように嘆願書が出されたそうです。

 

必死の公心は利害を異にする人をも感服させるのですね。

下田から伝馬町牢に護送される途上、四十七士の墓がある泉岳寺前で詠んだ歌が、『かくすれば かくなるものと 知りながら 已むに已まれぬ 大和魂』です。

 

この場合、大和魂とは松陰のホームである公益の心と行動だと思います。

政治でも会社でも、自分たちの持ち場、ホームで公益の心で行動する、商売を営む私たちの場合であれは、お客様や出会った方の幸せにつながるように、損得を超えて一生懸命お役に立つよう行動することが公益だと確信します。

 

仕事や生活をとりまく環境は大変なことではありますが、コロナを機に、膨大な犠牲を払ってまで、そのことに気づかせてくれたのだと願いたいです。