こんにちは。

すまいる情報東京の代表、竹内健二です。

 

仕事もやや少なめになるこの季節、私は普段なかなか時間がとれない方たちとの交流の時間に充てました。

日常、よく「ご縁ですね」という場面に遭遇するのですが、「ご縁」は偶然にやって来るのではなく、直近か、ずっと昔かは別として、何かの交流の結果として「ご縁」が巡ってくると実感しています。

 

今回のテーマは「交流」ですが、全く別々の人生を歩んでいる人たちが、共通する思いとか、関心のある事で、どこかで接点ができたり、交流した結果、あるとき「ご縁」の出会いがあるのだと思います。

 

交流と似た言葉に「絆」がありますが、絆は漢字の語源からして、牛とより糸から成り立っており、縛り付けるくらいの強いつながりを感じさせます。

親子の絆などと使われますが、好むと好まざるとに関わらず、切っても切れない固定化した運命を感じます。

一方、「交流」のほうは、交わって流れるですから、交わりの後、また別の場所に離れて行く気易さと広がりを感じます。

「流」は流布するのように広がる意味と、○○流のように仲間という意味があります。

いま目の前の交流が、いつどこで再びの「ご縁」になるか分かりませんが、これからも「交わって流れる(広がる)」ことを大事にして、仕事や専門に偏らずに「ご縁」の種を播き続けたいと思います。

 

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そんな訳で、今号は3名(組)の方たちとの交流を紹介させて頂きました。

ベトナム国家大学の教授陣との交流は、30年前から交流がある東京情報大学の中尾先生とのご縁が発展したものです。

私も以前にやっていた経営シミュレーションゲームを中尾先生がベトナムに持込み、そのご縁でベトナム国家大学の経済法科大学の学長と知り合い、今回の来日に合わせて交流会を設けました。

そこに、日本酒仲間の宮川さんもベトナムに同行していましたので、すまいる情報の運営するスペースでの利き酒会になりました。

ベトナムの方たちは、南方のせいかとにかく陽気でフレンドリーです。

国家政策と関わる大学の先生方という堅苦しさはなく、お互い大いに楽しみました。

 

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東京農大の宮林先生は、交流会のご挨拶の冒頭にて、「全国の日本酒を呑み尽くして、この体になりました」とおっしゃり、体格の良いお腹をさすりましたが、これで会場の空気はすっかり和みました。

先生のお話によれば、日本酒は約二千社から一万を超える銘柄が発売され、その7割以上に農大卒業生が関わっているとのことでした。

なるほど、日本酒の生みの親たち、の先生ですから、体が日本酒でできているのも納得です。

「美味しいお酒は美味しい水から。美味しい水は健全な森林から」・・・森林のお話のはじまりです。

 

宮林先生は、日本の心の故郷である山川・森林の行く末を案ずるお気持ちが、ご研究の原動力となっていることを感じ、強く感銘を受けました。

同時に、地球規模のビジョン実現のために地域・フィールドでの取り組みを一つ一つ大事にされるお姿や、先人から後世までの森林環境という長い時間軸を追いながらも今一時のお酒を全力で楽しまれるお姿からも、先生の研究者・教育者としての人間味・親しみに触れさせて頂きました。

先生はこの3月末にて、教授を一旦定年退職されましたが、地域創成科学科の完成までの数年、再び嘱託にて教授を続けられるそうです。

すまいる情報も、先生のご活動と、地域創成科学科の発展を、かげながら応援しております。

 

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南房総市の中森さんは、特攻隊員として出撃直前に終戦になり、その後は牧師として、戦争の犠牲になった青少年の育成に力を注ぎ、後半生は老人の生き方を提唱実践してこられた方です。

廣原さんという浦安にお住まいだった方の住み替えを震災後に当社でお手伝いし、移転先としてお世話した家が、中森さんが開発の音頭をとられた老人のための分譲地「フラワービレッジ」にあったことから交流が生まれました。

 

牧師として、世界の平和は、異なる人が営む集団の最小単位である結婚により家庭を築き、その結婚を通して互いに理解尊敬し合い、慈しみ合うことを学ぶという信念から、お若い方たちの結婚式の司式だけでなく、農村のお嫁さん不足や、老人の結婚について、積極的な活動をしていらっしゃいました。

地域の世話役でもあり、廣原さんに知らない土地の家をお世話する当方の不安を一気に解消していただいた方です。

 

先の大戦を経験された方のお話を聞ける機会は、そう多くはないと思い立ち南房総を訪ねました。

中森さんのお言葉の中に、日蓮上人の「異体同心」という言葉が紹介されていますが、中国の故事「同床異夢」を逆さにした「異床同夢」という言葉もあります。

交流が「異体同心」「異床同夢」の出会いの場であり、そこから広がって、世の中や人々のお役に立つ「ご縁」に広がることを自分の指針としたいと強く感じた交流の場でした。

 

 

竹内 健二